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ドラゴン広石「晴れ時々パチスロ」
少し前までCSの「パチテレ!」で、故・田山幸憲さんの生涯を振り返る「俺の履歴書 田山幸憲」という特別番組が繰り返し放映されていました。


若い方でも名前くらいは聞いたことがあるでしょう。田山さんはパチンコ雑誌界において最も有名な誌上プロであり、1988年の「パチンコ必勝ガイド」創刊から、2001年に舌癌による心不全で他界されるまで、足掛け13年に渡って「パチプロ日記」を寄稿されていました。実を言うと、私も「パチプロ日記」の熱烈なファンでして、ガイドの発売日には必ずコンビニに走り、まず最初に田山さんのページから読む…というのがお決まりのパターン。私は田山さんの書く格調の高いドラマチックな日記が大好きでした。


でまぁ、先述した特番はとても面白かったです。今になって考えてみると、田山さんと全く交流がなかったのが非常に残念というか悔しいというか…。私がガイドスタッフになったのは1995年の11月末ですから、田山さんとお近づきになれる時間は5年以上もあったんですけどね。だけど、そもそも田山さんがガイド編集部に来られることはありませんし、かといって池袋の山楽会館(当時の田山さんがネグラにしていたホール。パチプロ日記で言う“ブクロのS店”)まで押し掛けるのは失礼にあたる気もするし、結局は白夜書房の忘年会で一度お会いしただけでした。

私の日記の日付によると、98年の12月18日に高田馬場で行われた、パチンコ必勝ガイド&パチスロ必勝ガイド編集部の合同忘年会。私の知るかぎり、これまで一度もガイドの忘年会に来られたことのない田山さんが、何故だかこの年に限って出席されていたんですよ。

田山さんが座っておられるのは、奥の部屋にある特別なテーブル席。田山さんと談笑しているのは、末井さんや成澤さんなどのお偉方であり、とてもじゃないけど私なんかが近づけるような雰囲気じゃありません。



うーん、今回もお話しすることはできないか…。そう思って、半ば諦めていたんですけど、自分の他にもう一人、妙にそわそわしてる男がいます。

「ちょっと“パチプロ日記”を買いに行ってきます。まさか、田山さんが来るとは思わなかったから、色紙も何も用意してないんですよ。サインを頂くなら、やっぱり単行本に入れて頂いた方がいいですもんね…」

そう言って、近くの書店に走ったのは、ガイドに入って一年目のポロリ。そう言えば、ポロリも田山さんに憧れてライターを志したんだっけ。でまぁ、無事に単行本を購入できたのかどうか、そこらへんのことはよく覚えていませんが、戻って来るやすぐに田山さんの席に走り、念願のサインを頂戴したようです。


「へぇ、田山さんに挨拶したんだ…。じゃあ、俺も行ってこよう」

そう言って奥の部屋に向かったのは、タケちゃんこと中武一日二膳。


「君は中村敦夫に似てるね…って言われましたよ」

嬉しそうにニコニコしているところを見ると、まんざらでもないようです。てゆーか、若いっていいなぁ…。自分にはそんな感じで田山さんに話しかける度胸はないもの。




うーん、どうしようか…。それでもまだ迷っていたんですけど、とりあえずポロリとタケちゃんが先陣を切ってくれたので、私も意を決してご挨拶に行くことにしました。

極度の緊張で声が裏返りつつ、「いつもパチプロ日記を読んでます。これからも頑張ってください」…かろうじてそう言った私に対し、田山さんはお酒をチビチビやりながらこう言いました。

「君はパチプロになりたいのかい? だったら悪いことは言わないから、こんなヤクザな商売をやろうなんて考えない方がいい。店からは煙たがられるし一般客からは嫌われるし、良いことなんてひとっつもないよ」


少し困りました。私は別にパチプロになりたいわけじゃないし、田山さんは何か勘違いされているような気がする。そう思ったけれど、この際そんなことはどうでもよろしい。

「パチプロなんて、なるもんじゃない」

この言葉は田山さんの口癖だったそうです。


その言葉を私にもかけてくれた…。何だかそれにジーンと来ましてね。




2001年の7月4日。くしくも、ナナシーと読める日に亡くなった田山さん。この日、私は四谷のT店で獣王を打って3万負けました。





そんなことを、件の特番を観ていて思い出した…という、ただそれだけのお話。

08:30 | ドラゴン広石「晴れ時々パチスロ」 | - | -|